2019年2月9日土曜日

室井良輔「super dike / space dike」

space dike(スペース・ダイク)では、2019年2月9日(土曜)から17日(日曜)まで、室井良輔「super dike / space dike」を開催します。
※2月24日(日曜)、3月2日(土曜)、3日(日曜)も追加でオープンします。(2/14追記)


室井良輔「super dike / space dike」
【会期】 2019年2月9日(土) - 11日(月祝)、15日(金) - 17日(日)、24日(日)、3月2日(土)、3日(日)(2/14追記)
【開廊】 金 18時30分〜21時 土日祝 13時~19時
【会場】 space dike
〒111-0021 東京都台東区日本堤2-18-4 [地図]
東京メトロ日比谷線 三ノ輪駅3番出口 徒歩5分
https://spacedike.blogspot.jp/
https://twitter.com/spacedike/
※最新情報は、space dikeのツイッターでご確認ください。
【入場料】 300円

【トークイベント】※トーク中は展示をご覧になれません。ご了承ください。
2月11日 (月祝) 16時30分〜
出演 : 平間貴大(新・方法主義者)
同日、18時〜
出演 : 浦野玄馬(地理学)、畔柳寿宏(写真家・space dikeディレクター)
2月16日 (土) 18時〜
出演 : 石井香絵(美術史研究)、畔柳佐季子(space dike主宰)

参加費:500円(展示入場料込み)+1drink(300円〜400円)


室井良輔(むろいりょうすけ)
1983年生まれ。家具製作・木工内装、グラフィックデザイン、ウェブデザインの経験から作品制作をしている。アーカイブ(記録、収集、保存、整理)が気質。 http://archive661.com/



はじめに(前提)

5年前に東京・代々木の20202ギャラリーで作品展示を行った。その後自分自身は仕事変えたり引越ししたり結婚したり、目に見える変化があった。世の中では地震があり台風があり、それより前には震災があり原発事故があった。それでも生活があり、バラエティ見たり買い物したりご飯食べたり寝たり、日々が続いている。

展示見たり町歩いたり写真撮ったり、夜中働いたり車乗ったり食器棚作ったり、飲みに行ったり岐阜行ったり人と出会ったり、病院行ったり姪や甥と遊んだり部屋整理したり、指をけがしたり風呂入ったりネット見たり、雨に降られたり100均行ったり整体行ったり。日々には能動的に「する」ことと、思いがけず「なる」こと、すでに「ある」ことが入り混じっている。



今回の展示で考えていることは大きくふたつある。ひとつは「彫刻」について。もうひとつは「場所」について。

以前から彫刻に対して興味とわからなさがあった。彫刻というものをどう見たら良いのか。具体的には、人はそこにある立体物の量感(ヴォリューム)をどう把握しているのかということ。

彫刻における量感とは、構造や動き等と並ぶ造形要素のひとつと考えられる。「存在感」と言い換えられることもある。
たとえば仏像や神像を見るとき、何らかの崇高さや神秘的なものを感じたりする。そのとき"人は"いったい何を見ているのか。あるいは見ていないのか。「何を」感じているかではなく、「何が」それを感じさせるのか。
そこで視認できるのは、色や凹凸、木目の流れ、鑿跡、光による陰影、大きな輪郭としての形、目を描く線、衣を表現する波打つ面、そういった対象の表面にある肌理に過ぎないはずだ。にもかかわらず、"目の前に"ある表面を視ながら、目に見えないヴォリュームを感じている。
少なくともそこで感じることの"契機"は、そこに「ある」即物的な表面にあるのではないか。



そして場所について。

そこにある対象を知覚することとその空間は不可分な関係にあると思う。目の前の物体を見ることは、それが置かれた空間を感じることでもある。
空間とはその部屋の雰囲気・内装・照明、あるいは建物のことかもしれない。公園などの屋外のことかもしれない。そうした空間は町・都市という"環境"のもとにあり、その環境はそれぞれの歴史のもとに成り立っている。


今回展示するギャラリーは東京・三ノ輪にある"space dike"だが、"dike"とは堤・土手のことだ。その名前の由来は、この地の住所にもなっている「日本堤」からきている。
かつてこの一帯は入間川(現・隅田川)の氾濫原にあたり、石浜から鳥越岡の高台からなる自然堤防の背後の広大な後背湿地だった。
この湿地帯は度重なる洪水によってなかなか陸化しなかったが、江戸幕府による荒川をはじめとする治水事業により、1621年待乳山を崩した客土で、浅草の今戸橋から北西方向へ箕輪浄閑寺にかけて堤防が築かれた。その堤防が日本堤だ。日本堤は関東大震災から四年後の1927年取り崩され、現在はdikeの目の前にある土手通りとして痕跡を留めている。
この堤は洪水を防ぐために造られ、大規模地震後の都市機能の回復と都市基盤整備のために崩された。


今東北には、2011年の大震災をきっかけにした防潮堤の建設と嵩上げの工事が進められている。
防潮堤は海と陸との境界に延々と線を引くように造られていて、海への目線を遮るように真新しい白いコンクリートでもって目の前に現れる。
また嵩上げされる土地は、大量の土によってそれまであった風景に別の風景を塗り重ねるように、急速にその光景を変化させている。

しかしそのようなことは各地に今も昔もあったはずだ。"人が"住むために山は切り拓かれ、海は埋め立てられてきた。
たとえば荒川や江戸川沿いにあるスーパー堤防(高規格堤防)も平成から始まった事業であるし、現在でも埼玉・吉川の江戸川沿いで堤防の拡幅工事が進められている。その建設のために、立ち退きがあり道が作られ盛り土がなされ以前の風景が塗りつぶされてきた。


堤防に関わることで言うと、震災後の福島・いわきに訪れたとき、勿来火力発電所近くの岩間海岸沿いに防潮堤の一部が遺構として残されているのを見かけた。
津波によって倒壊した防潮堤の一部が、立っていた時と同じ角度で"置かれている"。一部といっても長さ10m厚み2mはあろうかというコンクリートの塊で、これを大地から折り引き剥がしたという力の存在を感じた。


今回dikeという名前から発想した、かつてここに災害をきっかけに築かれ崩された堤防と、現代様々な場所で災害を想定して造られてつつある大規模な堤防、そして災害遺構として残された堤防をモチーフに制作を始める。



ここで考えているのは、東北や東東京、川沿いの風景を見る体験と、彫刻という対象を視る体験とが似ているのではないかということだ。

対象がそこに在るということを見るには、ものを「そのまま置く」ことだけではきっと不十分で、対象の"前に"立ち止まり考えないといけない。
そこで作家が「する」ことは、形を作り出すことではなく、対象がそこに「ある」ということを認識するための、その姿勢を用意すること。つまり対象を見るためのロジックを作ることであり、それを制作と呼ぶのだと思う。

ここspace dikeの場所を借りて、場を考えるための空間を設営する。この建物に住みながらスペースを運営している主宰のお二人に話を聞きながら、またここに来てくれる方々と色々なことを話して、多角的に制作や場所を考える場になればと思う。それはdikeという場所の意義とも重なるはずだ。


平成30年11月 室井良輔



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